【ゆるゆる日記】無造作に伐採された公園の木を見て思う公園の再構築
伐採された公園に見る 寂しさ
どうも、PAROです。
私は日々の習慣で、近所を散歩します。
散歩のコースの途中で公園を通るのですが、公園の木々がバッサリと根本から切られている光景を見るとなんだか寂しい気持ちになってしまいました。
木々の生い茂った風景のほうが見ていて気持ちいいのですが、荒れ地のように伐採された風景は心を枯れさせられる気分になります。
子供時代によく遊んだ公園で思い入れもあるので余計にですが、もう少しやり方があるのではないのかなと思いました。・・・うん、何か方法があるだろう・・・
住民からの苦情や、防犯の観点から木を切ることによる木による敷地への侵食や、落ち葉処理の手間、見晴らしが良くなることによって合理的ではあります。
しかし、それでいいのだろうか?
公園って、人が集まるコミュニティの役割もあると思うので
「集まりたくなる魅力」を作る必要があるんじゃないかな~?
地域の人間自ら公園を運営する「パークマネジメント」という考え方
そんな疑念を持ってなんとなくネットを徘徊したら
「パークマネジメント」という考えがあるらしいじゃないですか!
「パークマネジメント」とは、行政・民間・市民が連携して、情報発信やイベントなどを行うことを通じて、地域の人々皆で公園を運営していくという考え方
公園を場所だけでなく、人が集まる空間にするのがいいと思う今日この頃。
ただ、空間を運営するには各々の帰属意識と自主性が必要になる。
サービスのように何かの対価で受け取るのではなく、自ら参加に育んでいく。
コミュニティでは何かを得るには、自分も何かを渡すこと
そうでないと、相互互助はなりたちません。
こんな昔は合った自治会のような地域の繋がりが復活すれば
「パークマネジメント」の考えもうまく活用できるんじゃないかなと思いました。
でも、根本は地域活動にも目を向けられる余裕を作れるように
「現代日本人の会社に傾倒しすぎた働き方」
を変えないと難しいのではないかなと思います。
そこについては、また気が向いたら書いてみようかなと!
それでは、今日はこのへんで。
ではでは。